2021年8月25日水曜日

グループホーム 平和の折り鶴プロジェクト

大和YMCAライフサポートセンター

平和の折り折り鶴プロジェクト 

 この夏、横浜YMCAでは核兵器廃絶の取組として平和を願って折り鶴を作り、広島YMCAを通して「原爆の子の像」に送られる『横浜YMCA折り鶴プロジェクト2021』が実施されています。

 大和YMCAライフサポートセンターのグループホームでも利用者の方々、スタッフの皆さんのご協力をいただき、千羽鶴の完成に向けて作業を進めています。プロジェクト実施期間中、二人の方が戦時中の体験を語ってくれました。

 昭和9年生まれの87歳、東京の両国出身のAさんは1945310日の東京大空襲のことをよく覚えていらっしゃって、「この空襲で私は母を亡くしました。家から近い新大橋のあたりも空襲で何もなくなってしまったんです。一人っ子だった私はその後茨城や長野の親戚に引き取られて、戦前まで過ごした家のご近所さんや知り合いもどうなったかわからなくなってしまったままです。その頃とても病弱だったので、今こんなに長生きで元気で過ごせるとは当時思ってもみなかったです。今まで周りで面倒見てくれた方々のおかげです。」と、しみじみと語ってくださいました。「過去の戦争について、日本はとんでもないことをしたと思います。これからも平和な毎日が続いてほしいです。」と、Aさんは最後に静かにおっしゃっいました。

 昭和5年生まれの91歳、愛媛県出身のIさんは、お父さんや従兄のお兄さんに召集令状が届き、兵隊としてミャンマーに出征したことを語ってくれました。お二人のうち従兄のお兄さんは生きて帰ってくることはなく、戦争が終わってから遺骨となって戻られたのですが、家族の皆さんは本当に本人の骨なのかは疑問に感じた、とのことです。従兄のお兄さんのお嫁さんは出征後にお子さんができたことが分かり、戦死されたことを知らされると親戚の皆さんから「えらいことになった。」と大騒ぎになりましたが、親戚の皆さんに助けられて残された親子は何とか生きていったそうです。また、Iさんは広島に原子爆弾が投下された時、愛媛の海沿いから瀬戸内海を挟んだ広島方面の空が不気味な色に変わったことを覚えていらっしゃるそうです。その後の広島の様子を知り、「戦争なんか本当にするもんじゃないわね。」と一生懸命話していただきました。

  

みんなで作った折り鶴に込められた平和の願いが世界中に届くことを祈ります。 


大和YMCAグループホーム 佐々木 美智